31歳巨デブ、ロリィタ始めました

31歳95kgがロリィタになる為の記し

ロリィタに足を踏み入れるまで〜其の弐〜

このブログは31歳95kgの巨デブが究極のKawaiiロリィタになるための記しである

 

https://ichigomilklove.hatenablog.com/entry/2023/02/21/214116

※尚、こちらの記事は上記の続きからなので是非こちらの記事も見ていただけたら幸いです※

 

前回の記事で高校時代まで記したので高校卒業から記すとしよう

高校卒業までは俗に言う派手髪(赤毛や、青髪など)だけでなく少しの茶髪や白髪染めすら親から禁止されていた。

その反動か、卒業した翌日にホワイトブリーチ(ブリーチより髪の色を抜くことが出来てを銀髪のように白くさせることが出来る剛毛の救世主)とヘアマニキュアをネットで買った。

そして到着した日にテレビを見ている母に向かって

頭半分ピンクにする!ホワイトブリーチとヘアマニキュア買って美容院行くお金ないから染めて!

とヘアカラー剤を突き出した。

ーー今思い出しても「唐突やな」のキョトンとした母の顔が笑える(なんて酷い娘だ)

 

半分ピンクの黒×ピンクのカラーは私が追っかけていたバンドマンのカラー(今で言う推しカラー)だった事もあり、私の熱意を無理やり飲み込んだ母はホワイトブリーチをして、ピンクのヘアマニキュアをしてくれた。

晴れて黒×ピンクの出来上がり!幸せの始まり……とはいかなかった。

そう、ヘアマニキュアは1〜2週間で色が抜けてくるのだ。

 

私の目指した色はパッションピンク、1~2週間後にはムラのひどい桜色になる。

……また母に頼んだ。次もその次も。

面倒くさがりながらも「髪で人様に迷惑掛けてるわけでないのだから楽しみなさい」と、染め続けてくれた。

 

そんな寛大な母に壁が立ちはだかる。

当たり前だが髪の毛は生えてくるのだ。

……ピンクの根元が黒い!!

当時の私には一大事で、すぐさまホワイトブリーチを買って母に突き出した。母は快く引き受ける。

いつも染める風呂場で真っ裸の私と、エプロンを着けて腕まくりした母は重大な壁に気付く。

そう。半分ピンク、半分黒(YouTuberのヒカルさんのような左右真っ二つの染め方)の私がもう一度ホワイトブリーチするには、以前染めたピンクの髪と染めていない黒髪を分ける作業が必要なのだ。

黒髪にヘアマニキュアは基本色が入らないので適当に染めていたのだが、それが出来ない。

母は「黒、ピンク、ピンク、黒、ピンク……」と黒毛とピンクを分ける細かい作業をしてくれた。

私は寒かった(親不孝者)

 

そんな作業が2ヶ月に1回ほどあるのは申し訳なかったが、そのかわり今までのパンクロックな服装にはすごく似合っていたし、自分に自信が持てて胸を張って街を歩けた。

本当に母には感謝をしている

 

そんな苦労してキープしていた派手髪な私の職場はなんと、歯科助手

セミロングなので髪を括る必要はあったが、髪色は何も言われず副院長に至っては、凄く気に入ってくれた。

「またピンク乗せたの〜!XJAPANみたいよね!似合ってるで!」

と毎回言ってくれた。

しかし職場によく居る疫病神、俗に言う御局様(60歳くらい)は私を毛嫌いしていた。

器具を持って、運んでいた私の足を引っ掛けた時は危ない器具もあるのに悪魔かと思った記憶がある。

 

そんな職場だったが御局様が原因では退職しなかった。

退職理由は私が小学六年生の時に蒸発した実父が警察に保護されたので迎えに来て欲しい。という話だった。

それが職場に連絡来たもんだから、根は気が弱い私は職場に居づらくなり辞めた。

 

それから職場を転々とし、安定した収入もないので派手髪をやめた。

そしてライブ参戦、アメリカ村での買い物が減っていった。

……私の青春が終わりを告げたのだ。

 

次の記事で長い長いロリィタを始めるまでの道のりを書き終えるかと思うのでよかったらお付き合い頂けたら嬉しい。

 

また他の記事で会える日を楽しみにしています

have a nice Lolita