ロリィタに足を踏み入れるまで〜其ノ壱〜
このブログは31歳95kgの巨デブが究極のKawaii、ロリィタになるための記しである
今回は私がロリィタになろうとするまでの軌跡を書いていこうと思う
まずは幼少期、幼稚園児だった私は当時セーラームーンが大好きで憧れていたのは主人公、月野うさぎだ。毎朝、母にお団子頭にしてもらった記憶がある。
しかし面白い事に私のお気に入りのおもちゃはミニカーや電車。なんと卒園前に書いたぼく、わたしのなりたいものにはでっかく、かつ下手くそな字で
セーラームーンになってでんしゃをうんてんしたり、くるまをうんてんするひとになりたいです。
とかいていたのだ。車掌や運転手がセーラー服の美少女戦士……
そんなぶっ飛んだ私の小中学生時代は闇の9年間だった
小学生1年から始まったいじめは中学3年まで続いた。まあよくある話だ。
無視からウイルス扱い、仲間はずれ等だ。
しかしいちばん許せないのは中学の卒業式に
ずっとあなたが教室に来るのをまってたよ
といじめっこ主犯格に言われた事だ。
今まで散々9年も仲間はずれにしたり私を軽蔑する言葉を投げてきながら最後は美談にしようとしたのだろうと思うと
地獄へ逝ってどうぞ
と今でも思ってしまう。
でもそのおかげでヴィジュアル系という音楽ジャンルに出会ったのだから良しとする
V系バンドに免じて許してやろう(?)
ヴィジュアル系に出会った私の高校時代は大変潤っていた。
そう。これぞ青春なのだと無意味に胸を張れる。
夜間学科だった私は朝から昼までアルバイト。
夕方から登校し夜10時には帰宅する。
これの何が青春か……。それは
教師公認(?)ライブ参戦
をしていたからだ。
教師に明日ライブ参戦なんで休むわ!と大きな声と満面の笑みで伝えていた。
そう、幼稚園児だった私がでっかく書いたあの夢のように……。
そんな私に教師も、気をつけて帰ってこいよ。としか言わなかった。
多分授業態度は大マジメちゃんだったからだろう
その頃から関西の田舎暮らしの私は大阪へよく通うようになった。
難波のアメリカ村、通っていたライブハウスのある梅田は私の庭と言いたいが極度の方向音痴なので道をひとつ外すと迷子になる
当時の服装と言ったら、SEXPOT ReVeNGe(以後セクポ)、たまにKERA SHOP大阪店(現在は閉店)で服を調達していた。
靴から帽子までアメ村で揃えていたのだ。安賃金でも働く甲斐が有るというものだ
セクポは今も魅力的な商品を多数展開しているのでぜひ見てみて欲しい
なお95kg巨デブの私は着れる服がありません❤
……と、長くなったので高校卒業後からの軌跡はまた次の機会に書くとする。
生きてきた31年の半分だが を振り返るのも中々楽しいものだ。